沿革

明治38年12月日立鉱山設立 (創業者 久原房之助)
明治39年2月同鉱山附属診療所開設 (本山病院の前身)
明治40年7月大雄院診療所開設
明治43年12月本山病院を併設するとともに、大雄院診療所に内科、外科、眼科
を置き大雄院病院となる
明治44年9月大雄院病院に歯科を増設
大正1年10月日立鉱山を久原鉱業株式会社として新発足
大正5年12月大雄院病院に産婦人科を増設 県下随一の総合病院となる
昭和2年12月大雄院病院に耳鼻科を増設
昭和3年12月久原鉱業株式会社から日本産業株式会社へ改称
昭和4年4月鉱業部門を分離して日本鉱業株式会社を設立
昭和12年5月大雄院病院に看護婦養成所を創設(茨城県第1号)
昭和32年8月大雄院病院と本山病院を統合し、独立(一本化二院制)させる
日本鉱業株式会社中央病院と改称
昭和32年10月総合病院の資格認可を受ける
昭和36年1月労働衛生室設置
昭和42年9月本山病院廃止 (大雄院病院への一本化一院制)
昭和51年6月日鉱日立病院の発足、開院(114床)
昭和55年8月新病院設立準備委員会の発足
昭和56年2月医療法人社団 日鉱記念病院の設立認可
昭和56年3月同病院建設着工
昭和56年12月同病院竣工
昭和57年1月同病院 新築移転開院(114床)
平成5年3月新館増築完成
平成13年1月療養病床(18床)併設に伴い一般病床を変更(88床) 計106床となる
平成19年3月国税庁長官より特定医療法人の承認を受ける
平成19年7月療養病床18床より10床に変更、一般病床と合わせて計98床となる
令和4年7月同病院新築移転開院(51床)
介護医療院開院(19床)